学校へ行けなかった14歳の頃。
今だから理解できるあの時の気持ちを書こうと思います。

 

いつも家族のために、愛を与え続ける優しい母。

5,6歳の頃、母に聞いた記憶があります。
「お母さんのごはん茶碗はどうして無いの?」
母は「みんなの残りを食べるから」と答えていました。

父や祖母に怒られても、三歩下がって意思表示することもなかった。
微笑んでいる顔しか知らなかったけれど、幸せかどうかは察してしまう。

娘は、お母さんが楽しむ笑顔を忘れていると悲しいんです。

 

14歳の頃、愛されていないような寂しさを感じ始めました。

私も見て欲しい。かまって欲しい。
独り占めできる時間だから学校に行けない(当時はそんな気持ちに気付けないんです)
お母さんの手伝いをしたい。
お母さんの役に立ちたい。
だけど・・・出番がなくて存在していないようで寂しい。
その寂しい気持ちがよくわからなくて、表現方法がわからなくて
「愛されていない悲しみを感じないように自分から嫌い」と言ったと思います。

 

お母さんにも一人の女性として人生を楽しんで欲しい。
女性としての先輩だから。
「母の幸せそう」を感じられただけで生きられるくらい
大好きなお母さんの役に立てることが嬉しいんです。
何をしていても、根底には「お母さんが大好き」が流れています。

 

「私が悪いんですね」と母が父に言った時、
「そんな風に思ってほしくない気持ち」が表現を変え、さらに命かけたかのように反抗しました。
もし、これをよまれていらっしゃるお母さま、自分をせめないで。
子供はうまく表現できないけれど悲しいです。
大好きなのに・・・。

 

「人のために尽くす愛を、自分のためにも使って欲しい」と
母としてだけでなく、一人の女性として生きてる姿を、自分に重ね合わせ始めた年齢だったと思います。

もっと幼い頃から、早く大人にならなければいけない気持ちと、相反して
子供のままでいたい、子供をまだ味わっていない、
愛をまだ感じれていない、それでも大人にならなければ・・・。
そんな気持ちもあったと今は思います。

巡っていく愛(母娘)

母が家を心配しながらも、演劇を見に行って帰った時、
15歳になった私が作った夕ご飯を食べてくれて嬉しかった!
生きられる!というくらい嬉しかった!
自分が役に立てたことが、存在していい感じがして嬉しかったのだと今は思います。

母は手伝いを頼めるようになったのは
学校の原田先生がそう言ってくれたのだと思う。
先生の存在も感謝でいっぱいです。

 

かまってもらえないと感じ寂しい女の子も、
だんだん「愛が欲しい」から「与えたい」に変わります。
バランスが取れていくように成長していきます。

 

母には、自分に愛を与える→誰かの愛を受け取る→人に愛を与える。
私には、誰かの愛を受け取る→自分に愛を与える→人に愛を与える
そんな愛が巡っていく流れがあったのだと、今だから思います。

今、たくさんの人に、自然や動物にも、愛を与えたい。
そう思います。

 

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