いつも通る路地に居る野良猫。
少し前から具合悪そうに見えていました。

今日は吐血していたので
急いで保健所に電話してみると
動物愛護協会へ電話してくださいと優しく教えてくださいました。

 

動物愛護協会に電話すると、
悲しいけれど保護しても7日で処分しなければいけないんですと。
「野良猫は野良で生きる運命を全うするのを選んでいるのかもしれないんですよね」
そのような捉え方をお伝えくださいました。

 

なんだか悲しい。でもその意味は深いです。考えさせられます。

 

とりあえず動物病院にも聞いてみようと、歩いてすぐの病院に行き
状況を話すと、獣医さんは手術と入院になったら、結構な金額がかかると。
そして治ったとして、また野良猫に戻したら同じようになる。
その後も飼えるならいいけど、よく考えてくださいねと。

 

野良猫を助けたいけれど・・・
病院の前で携帯で検索して
野良猫に対する考え方がいろいろあることを知りました。

 

その記事の中でも、強く響いてしまったことは
野良猫は、もしかしたら病院なんて嫌かな?望んでいないのかな?
人間に助けて欲しいと思っていないのかな?
私が勝手に求められてないことをしようとしているのかな?
と思わされた記事を読みました。

 

ちょうど少し前に、人間の話ですが
「助けすぎることは、依存関係を生んで相手の成長にならない」
「相手が思っていないこと、聞き手の主観で相手を決めつけるのはどうなのか」
そんなことを感じていたことが、ポンと頭に出てきたりした。

 

猫のことになると、過去の恩返ししたい想いと、どうしても重なっていることにも気づきました。
それって恩返ししないと私も神様に見放される気がしてるのか?
神様をそんな人だと言っていることになるのか?
結局は助けたいのは自分のためなのか?私。
「見放される」は誰になんだろう。
一瞬のうちに、いろんなことまでも浮かんできました。

 

友達にメールすると
「誰にも見放されないよ。何も出来なくても、いつもいつも
人にも生き物にも優しい気持ちを持ってるじゃない」という言葉に癒されました。

 

そんなこんな15分過ぎ、病院から猫のいるところに戻ると、居なくなっていました。

 

歩けそうになかったけれど、どうしたのかな?
私がすぐに連れて行かなかったから?命を?
その時「野性の動物は死に場所知ってるから自然と居なくなるみたいだよ」と
すごいタイミングで友達からメールが来て、涙が溢れてきました。

 

猫のいる前のお宅の方が出てきたので、ご存知ですかと聞いてみました。

 

何もできなかったけれど
いなくなった野良猫は人生を全うして、今、安心に包まれた。
そう思うことにして、祈りを送りました。

安心に包まれた猫

長い文章になり失礼いたしました。
お読みいただき、ありがとうございます。