私の経験「感情:特に怒り」の感情のこと書かせていただきます。

気持ちを話すとき、言葉がすぐに出てこないことがありました。
出来事や情報は、どんどん出てきて楽しく話せるけれど、
自分の感情を話すときは、言葉に出るまでに時間がかってしまうことがありました。

気持ちを表す言葉が出てこないのは、きっと、
「この感情は出してはいけない」
「この感情なら出していい」
「相手のために、自分の感情を、こう変えたら出していい」
「感じた感情を否定し、捉え方を変える努力をしよう」と、
考えているから時間がかかっていると気づきました。

 

「怒りの感情」については、
「怒り」というものをあまり感じたことがなかった。
怒っていいことだと言われても、怒らない。
「怒り」の代わりに「悲しみ」と認識していました。

15歳の頃、自分を見てもらえなくて、おそらく孤独から怒りを出した時
そのとき、家族は怒り、母は泣きました。
あんなに手のかからない、いい子だったのに急になぜ?と。

「怒りを出したら、大切な人を悲しませてしまう」
「怒り」=「傷つける悲しみ」=「出してはいけない」
あの時から、怒りを封印して生きてきたのだと思います。

 

「感情」はエネルギー。
「怒り」は特にとても大きな生きるエネルギー。
生きる生命力のような大切なエネルギー。
自分を守る大切なエネルギー。

その大きなエネルギーを封印するのだから
抑える力も大きなエネルギーが必要になります(自分では気付かないものですが)
その生きる力のエネルギーを封印するのだから元気もなくなります。

 

「怒りの解放」が必要な時、
「怒り」なんだと気づかないこともあり、自分が悪いと我慢したりが多いので
「怒りの解放」のような広告文字を、自分は該当しないとスルーしてしまう。
もっと優しくなれる感じの性格を直せそうなことに取り組んだりすることもあるけれど
もう充分すぎるほど優しいのです。
本当に必要なのは、怒りの解放だったりすることがあります。

感情を解放してくださるセラピストさんも居ます。
私は、1回目、2回目は感情を出せませんでした。
「怒っていい」と誘導されても「私が悪いのに、そんなことできない」と涙しか出ませんでした。
数年後、再度チャレンジして、
「自分の気持ち(感情)を出していいんだ」という感覚を知ることができました。

感情のエネルギーの出し方もだんだん中庸になっていけると思います。

「感情は変えようとせず、寄り添うもの」
そのために、まず「出していない」に気づくことが大切なことです。

「気づく」「出し方」は続きで書きます。

「怒りを出していない」に気づくこと

関連:我慢することに慣れて・・

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